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マンズワインの「ワイン造り」の歴史・第1回~「ぶどう栽培と醸造は一体」という思想の発見~

マンズワインの「ワイン造り」の歴史・第1回~「ぶどう栽培と醸造は一体」という思想の発見~

日本の気候風土は高温多湿でぶどう生育期の降雨量が多く、ぶどう栽培・ワイン醸造には不利な条件だと言われています。

しかし、そんな環境の中でも人々は努力や工夫を重ねてワイン造りを続けてきました。マンズワインも1962年の創業以来、良いワインを造るための探求を繰り返し、「日本がおいしくなるワイン」を目指し続けています。

特に海外の銘醸地で栽培されている、欧州系ワイン用ぶどう品種(ヴィティス・ヴィニフェラ種)の日本での栽培は難しく、多くの困難とさまざまな人々の尽力によって成し遂げられてきました。

そこでこの連載では、マンズワインの欧州系ワイン用ぶどう品種によるワイン造りの歩みを3回に渡ってたどります。第1回はマンズワインが現在まで受け継いでいるワイン造りの思想についてをご紹介します。

1960年代~|醸造を中心としたワイン造りの時代

マンズワイン勝沼ワイナリーの竣工は1965年。「世界の味”ワイン”を日本の食卓へ」という、親会社キッコーマンの多角化戦略のもとに設立されました。

1969年、現在のマンズワイン常任顧問である松本信彦が醸造技術者として入社します。この頃の日本におけるワイン造りは醸造技術を重視して考えられていました。「ぶどうはあくまで原料であり、良いワインは優れた醸造技術から」というのが、当時のワイン造りの常識だったのです。

当時のマンズワインは、ヨーロッパの主要なワイン製造研究拠点の一つ、ドイツのガイゼンハイム大学の醸造技術を取り入れた「フレッシュ&フルーティー」なワイン造りを行っていました。グラスライニングタンクによる低温発酵が醸造上の特徴です。醸造中の酸化を抑制して、木樽による香りのマスクもないため、ぶどう果実の華やかでフレッシュな香りを引き出すものでした。

この頃日本では、カベルネ・ソーヴィニヨンなどの欧州系ワイン用ぶどう品種の栽培はほとんど行われておらず、欧州系品種のぶどうは濃縮果汁やバルクワインとして、海外産地から輸入されるのが普通でした。当時は、日本の風土では欧州系品種の栽培は難しいとされ、ぶどう栽培に手間をかけるよりも海外産の原料を輸入したほうが良いという考え方が当たり前だったのです。

そんな状況の中、マンズワインは日本でも欧州系品種の栽培ができないか、いくつかの取り組みをいち早く始めました。例えば以下のような取り組みです。

  • 1968年 山梨市万力山に試験圃場「万寿農場」を拓き、棚仕立のカベルネ・ソーヴィニヨンを定植
  • 1971年 福島県南会津に棚仕立でシャルドネとリースリングの苗を定植
  • 1973年 小諸ワイナリー竣工、同年「万寿農場」にて垣根仕立栽培の研究を開始

しかし、これらの取り組みが実を結ぶかどうかを判断するには、まだ時間が必要でした。

1970年代後半~|ワイン造りに新しい展望が開ける

1976年、マンズワインは初めてフランスのボルドー大学ワイン栽培醸造研究所への本格的な技術者派遣を決めます。留学生として選ばれたのは醸造技術者の松本でした。そしてこの決断が、後にマンズワインにおけるワイン造りの根幹となる思想へと繋がります。

ボルドー大学への留学を前に、松本はガイゼンハイム大学の教授を訪問します。そこで交わした一言が松本の意識を根底から変えました。専門を問われ「醸造技術者です」と答えた松本に、教授はこう言いました。

「それではいけない。ワイン造りはぶどう栽培と醸造が一体になったものだから」

ワイン造りの歴史が古いヨーロッパでは、ワイン造りはぶどう栽培をより重視するのが当たり前だったのです。日本のワイン造りは「届いたぶどうを仕込むもの」でしたが、ヨーロッパのワイン造りは「まず健全なぶどうを育て、良いぶどうを仕込むもの」という違いがありました。

松本はボルドー大学で、そして現地のぶどう畑やワイン造りの現場で「ぶどう栽培と醸造が一体となったワイン造り」を学び、ぶどう栽培も醸造も基礎をしっかりと実践することが大事だと確信します。

2年半の留学を終え、1978年に帰国した松本。「ぶどうから始まるワイン造りで、日本で欧州系品種の良いワインをつくろう」という強い想いが芽生えました。

この松本の学びが、マンズワインのワイン造りに変革をもたらします。それまでの醸造技術中心ではなく「ぶどう栽培とワイン醸造が一体となるワイン造り」の方向への舵取り。「良いワインは良いぶどうから」という思想は、その後も造り手だけでなく、マンズワインの社員全体に受け継がれています。

1980年代~|品質改革の起点:垣根栽培と適地探索

早速ぶどうから始まるワイン造りを実践しようとした松本でしたが、最初の壁が待ち受けていました。仕込みに運ばれてくる国内産の欧州系品種のぶどうは収穫期の雨による病害や未熟果が多く、品質が安定しなかったのです。良いワインを造るためには、醸造の前段階でぶどう栽培そのものを見直す必要がありました。

そこで計画されたのが、2つの取り組みです。垣根仕立てによる栽培の導入と、欧州系品種の栽培適地の探索です。

垣根仕立てによる栽培

日本では高温多湿の対策として、ぶどうは棚栽培で育てられるのが普通です。棚栽培の場合、1本のぶどう樹は非常に多くのぶどう果実を実らせます。しかし養分が分散するため、1つ1つの凝縮感が足りなくなるのです。

ヨーロッパで行われている垣根仕立ての栽培では、1本のぶどう樹が実らせる果実は少なくなり、1つのぶどう果に養分が集中しやすくなります。しかし垣根仕立て栽培で健全な果実を得るには、収穫期の雨対策は欠かせません。

1978年、マンズワインは垣根仕立て栽培の雨対策の研究を始めます。これが後のマンズレインカット栽培へと繋がりますが、その道のりは簡単ではありませんでした。

欧州系品種の適地適作の探索

カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、リースリングなど、欧州系ぶどう品種にはさまざまな種類があり、それぞれに好む気候や土壌が異なります。そこで、異なる気候・土壌の土地に異なる品種を植えて、特定の品種に適した土地を探す取り組みが始まりました。

1973年には、比較的雨が少なく標高690mの冷涼な長野県小諸市で、借り受けた試験圃場に多様な欧州系品種を定植。気候適性を検証していきます。1975年には小諸市大里地区(ワイナリー周辺)にシャルドネと善光寺種を植栽し、検証を重ねました。 

試行錯誤を経て、日本産欧州系ぶどうに品質向上の兆しが見えた

前章までで述べたような取り組みのいくつかは、目に見える成果へと繋がります。

例えば小諸の試験圃場での取り組みからは、小諸がシャルドネの栽培に適した土地であることが判明。この成果を受けて、1981年には小諸ワイナリー内の自社圃場へ、レインカット栽培の垣根仕立てでシャルドネを植栽します。現在このシャルドネは樹齢45年に達し、今も豊かにぶどう果実を実らせ、ソラリス 小諸 シャルドネ ヴィエイユ・ヴィーニュというワインになっています。

山梨万寿農場の棚栽培カベルネ・ソーヴィニヨンは、寒暖差のある土地に根付きました。

黒々としたぶどう果を実らせ、その果実は松本によれば「ボルドーの畑を連想させるようなもの」。このカベルネ・ソーヴィニヨンは1984年にワインに仕込まれ、日本で栽培された、本格的なカベルネ・ソーヴィニヨンのワインの先駆けとなります。このワインは醸造でもマロラクティック発酵を行い樽で熟成した、ボルドー大学式のものでした。

一方で、取り組みの中には失敗に終わったものもあります。小諸の試験圃場でもカベルネ・ソーヴィニヨンの栽培が行われましたが、冷涼な気候が晩熟の品種に合わず、ぶどう果実を完熟させることができなかったのです。

しかし失敗から学べることも多くありました。

松本も「失敗の経験が多いことこそがマンズワインの強み」と話しています。マンズワインはトライ&エラーを栽培方法・適地適作で繰り返しながら欧州系品種の品質向上へとつなげていったのです。

まとめ|ぶどう栽培から始まる欧州系品種のワイン造りを目指して

松本によってヨーロッパからもたらされた「ぶどう栽培からはじまるワイン造り」という思想は、欧州系ぶどう品種の品質の向上を目指したいくつもの取り組みへとつながり、その後のマンズワインのワイン造りの根幹として定着していきます。

1980年代に入ると、積み重ねてきた試行錯誤を経て、栽培の改善・適地適作の探求が成果につながりはじめ、日本の風土でも、高品質な欧州系ぶどう品種栽培の展望が見えてきました。

これにより、輸入原料のぶどう果汁や輸入バルクワインをベースにしたワイン造りでなく、日本産のぶどうによる良い欧州系品種ワインを造る可能性が開かれてきたのです。

次回は、品質が上がってきた日本の欧州系品種ぶどうを使った、本格的なワイン造りの試みについて語りたいと思います。

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