INTERVIEW Vol.7
常任顧問
INTERVIEW Vol.7
常任顧問
記憶されている理想のワインを追い求め
日本のぶどうで、世界に誇れるワインを造る
母の実家がぶどう栽培を営んでいて、小さな頃からワインが身近にある環境で育ちました。町の会合といえば地ワインを一升瓶で持ち寄り、茶碗酒スタイル。当時地元で流通していたワインといえば茶褐色で色合いも良くないし、アルコールの匂いもして、大人がおいしそうに飲む光景を不思議そうに眺めていた記憶があります。マンズワインに入社後は、仕込みからびん詰めまで、ワイン造りのすべての工程を経験。その後はずっと研究畑を歩んできました。当時は全社員対象に社内で利酒コンクールが毎月実施されていて、いつもトップクラスの成績を修めていました。そんな経緯もあって、ワイン造りを本格的に学ぶためボルドー大学へ編入し卒業することをミッションに76年渡仏しました。
ボルドー大学では講義後にフランス人の友人にノートを借り、人の何倍も時間をかけて勉強しました。座学や研究だけでなく、街に出てフランスのワインを飲み、理想の味を記憶するようにしていました。“世界で評価されているワインとはどんなワインなのか”身を以て知ることで、目指すべき方向性を見つけられる。「自分が理想とするワインはこれだ!」という想いがあってこそ、初めて美味しいワインを造ることができるのです。2年半滞在し、フランス国家資格であるワイン醸造士とワイン利酒適性資格を取得し帰国しました。現在日本にいるワイン醸造士は10人程度、ワイン利酒適性資格は50人程度であろうと思いますが、両資格を持っているのは現社長の島崎と私と後一人ぐらいかもしれません。
「日本の風土で育ったぶどうを100%使って世界に誇れるワインを造る」そう決意してから長い月日が経ちました。帰国後は社内外で講演や研究を重ね、日本のワイン業界の発展に力を尽くしてきました。醸造家は頭の中でどのぶどうを使えば、どんなワインを造ることができるか、味を明確に想像することができます。マンズワインのトップレンジであるソラリスシリーズは、畑に収量制限を取り入れるなど、試行錯誤を繰り返しながら品質を高めてきました。気象条件・土地・ぶどう品種・造り方、それぞれにおいてどんなストーリーを経て造られてきたのか。自然の恩恵や制限を受けながら、理想のワインに近づけていくこと、その理想を追求し続けることが、国際ワインコンクールで評価を受け、世界中の人々からマンズワインを口にして喜んでもらえることにつながるのでしょう。すばらしいワインには先人によって紡がれた物語があります。当社ではたくさんの優秀な人材が育ち、彼らの技術は脈々と受け継がれてきました。今日、日本ワインは世界で認められるようになってきました。そしてこれからさらに、想像力豊かな若者たちの努力によって、日本ワインが世界へ羽ばたいていくワインに成長することを期待しています。
松本信彦(まつもと のぶひこ)
マンズワイン株式会社 常任顧問。
1969年マンズワイン株式会社入社。
1976年から渡仏、ボルドー大学ワイン栽培醸造学研究所で学び、利酒適性資格とフランスの国家資格であるワイン醸造士、2つの資格を取得。
2年半の留学から帰国後、ヨーロッパ系ぶどう品種の本格的な取組の中心を担い、現在のソラリスシリーズに繋がる礎を作った。
現在、常任顧問としてワイン造りに携わりながら、葡萄酒技術研究会会長、山梨大学客員教授、山梨県ワイン酒造組合の専務理事も務める。
近年では、GI山梨の立ち上げに大きく貢献する等、現在も日本ワイン界の発展に尽力している。